2007年07月18日

「ヒマラヤを駆け抜けた男」

「ヒマラヤを駆け抜けた男〜山田昇の青春譜」佐瀬稔:著、中公文庫、1997年6月18日発行
7/17(火)の心に残った一節
第四章 極道たちの家
 小暮の妻、幸枝は、生命保険の仕事をして二人の子を育てている。六年後に出た夫の遺稿集の巻末にこう書いた。
<あなた・・・・・・あなたは今、どこの山に登っているのですか。あなたが私たちになんの断りもなしにネパールへ永住を決め込んでから、すでに六年というながーい年月が過ぎようとしています。最後の便りで「山が白くなるころには帰るからな」と子供たちに約束したのに・・・・・・。あれから何度も山は雪化粧しました。白く美しく勝ち誇ったように輝いて、その度にうらめしく眺めています−−−。
 こんな宛て先のない手紙を何度書いたことでしょう。でも、今回で最後にしようと思います。もう六年も子供たちと生きてきたのだから、これから先も親子三人でやって行きます。
 新聞などで「覚悟はしていました」などと書かれているが、あれはない。山へ行くたびに覚悟していたのでは、山ヤの女房はやっていられない。いつも帰りを待って送り出す。毎朝、夫を会社へ送り出す。そんな日常的なことと少しも変わりなく夫を送り出す。だから、帰ってくるのが当然のことなのです。
 その当然のことが、今回は崩れてしまった。好きな山で死ねたのだから本望でしょう、と他人はいうが(略)残された私たちは、そんな優雅なことはいっていられなかった・・・・・・>
 二人の息子は、当時、父親の身に何が起こったか、理解できるはずがなかった。悲報が伝えられたあと、原因不明の熱を出しただけだったが、のち、何かのはずみに、長男・雅之が母親にいった。
「ぼく、大きくなったら、山になんか行かないよ。絶対に・・・・・・」
posted by 西さん at 19:31| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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