2009年11月08日
旭岳以後?
10/3-04の旭岳から、10/10-12で南アルプス:広河原〜間ノ岳〜三峰岳〜熊ノ平〜蝙蝠岳〜二軒小屋〜伝付峠〜田代入口と辿り、10/24船形山、10/25虎毛山〜高松岳〜山伏岳。10/31鉾ガ岳、11/01金剛堂山。そして今回、11/07-08で谷川連峰・馬蹄形に挑戦してきた。清水峠の避難小屋に一泊して無事に下山できた。HPへの掲載が滞り無念であるが、実り多い山行が出来ている事で結果OKとしておきたい!
2009年10月07日
2009年09月23日
2009年09月13日
2009年08月08日
310 2009.08.01★★八幡平(1,613.3M)・源太森(1,595M)★★
309 2009.07.31★★後方羊蹄山(1,898.0M)★★
2009年08月04日
307 2009.07.29 ★★ 幌尻岳(2,052M)★★
2009年07月18日
嶺朋ルートを辿りボーコン沢の頭経由で北岳周回
アサヨ峰〜高嶺の周回山行
2009年06月23日
御嶽山の周回山行!
2009年06月21日
佐武流山に登頂!
2009年06月06日
赤牛岳挑戦記(2008年7月19日〜21日)
課題の山行は幾つもあり、どこに行くかは
その時々の季節や天気予報に振り回されてい
る。
そんな中、船窪岳〜南沢岳〜烏帽子岳を周
回する、一泊二日の山行に出掛けた。このコ
ースの楽しみの一つに、船窪小屋での宿泊が
あり、計画時の大きな要素になっている。
船窪小屋では、小屋開きしたばかりで、おり
しも翌週の「海の日」を控えた準備で忙しい
時だった。
小屋を切り盛りするお母さん(寿子さん)の
歓迎は暖かく行き届いている。楽しい夕食の
もてなしを受けて、翌日に控えたハードな
周回山行に英気を養えた。 その時、小屋の
ご主人の松澤宗洋さんと寿子さん夫妻から
「針ノ木谷古道」の復活の貴重な話を伺えた。
夕食後、船窪小屋から夕陽に染まる薬師岳や
剱岳、立山など見とれながら、赤牛岳が
気掛かりになっていた。
一般的には、裏銀座縦走コースから水晶岳を
経由して赤牛岳にいたる場合と、扇沢から
黒部ダム、奥黒部ヒュッテ経由で長く厳しい
読売新道を登り詰める場合の2種類が考えら
る。また、これ等を行き帰りに縦走するケー
スも多いようであった。しかし、我々はこれ
等計画では、黒部ダムまでのバス代や車の回
収などに経費と時間が掛かるのがネックと思
っていた。
この問題点(我等だけかも知れないが)を
解決するコースとして、針ノ木谷古道を利用
できないかと検討してみた。船窪小屋の松澤
さんに改めてE−MAILでコースの問合せ
をして、貴重な情報が得られた。そして、山
中2泊でなんとか周回できると結論を出した。
経費節減を図る我等は、勿論、テント泊装備
で計画したのである。
1日目。2週連続となった船窪小屋への登
りは足取りも軽く、小屋に立ち寄った。お母
さん(寿子さん)に、先週の小屋泊とE−M
AILでの情報提供のお礼を言って、「針ノ
木谷古道」を使わせてもらうことを告げ、先
を急いだ。
船窪乗越で船窪岳・烏帽子岳周回コースか
ら分れて、針ノ木谷出合に向かう踏み跡を辿っ
た。
針ノ木谷出合は、幾つもの谷からの雪崩が
集まるところで、盛り上がった残雪が、木々
を巻き込みながら山の様になり、ルートが判
らなかった。やっとの事で、赤テープを見つ
け、それを頼りに先に進んだ。
針ノ木谷は、時期が早いせいか、雪解け水
で少し増水しているようだ。それでも南沢出
合までは、藪こぎが多少あるものの、比較的
時間を結構費やした。なかでも5回程は浅瀬
を探して裸足で渡った。冷たい水の中は、5
秒間も歩くと感覚が無くなり、水から出ると
痛みを感じた。浅瀬の無い所は、思いっきり
岩から岩へ跳んだ。非力な相方は、荷物を背
負ったまま跳べないので、相方の所に戻って
テに18時過ぎに到着した。
この日は、七倉山荘Pを朝5時過ぎに出発
して、13時間の行動であった。
翌日も予定では、12時間ほどの行程のた
め、早めに食事をしてユックリと休んだ。
2日目。読売新道の登りは厳しいものだっ
たが、赤牛岳に無事登頂できた時は、心から
嬉しかった。生憎の小雨交じりの天候で展望
に恵まれず残念だが、充実感で満たされた。
更に水晶岳を経由して、水晶小屋で小休止し
た。一瞬、水晶小屋泊を考えたが、「折角の
テント泊装備で苦労してここまで来たのに」
と思い返し悩んだ。結局、勿体無いので先に
歩を進め、途中の雪渓のある場所で幕営した。
場所は、真砂岳手前の湯俣への分岐より、
かなり手前であった。3日目は、湯俣へ下り
晴嵐荘を経由して高瀬ダムに下山予定のため、
効率的な幕営地となった。
3日目。天気が急速に回復して裏銀座縦走
路から湯俣に分岐する頃は快晴に恵まれた。
振り返ると裏銀座縦走路の峰峰が屏風のよう
に連なり見送ってくれた。その後ろに水晶岳
も頭を覗かせていた。行く手には、異様な姿
の硫黄岳と、その奥に険しい北鎌尾根を従え
た槍ヶ岳が、出迎えてくれた。湯俣岳を経由
して、一際急になる痩せ尾根の下りをドンドン
行くと、高くなった北鎌尾根を見上げながら、
湯俣が現れてきた。
晴嵐荘では、河原の露天風呂で3日間の汗を
流して、サッパリ出来た。高瀬ダム迄の単調
な林道歩きも、長かった3日間を思い出すと、
達成感と充実感に満たされたものになった。
今回、辿った七倉〜船窪小屋〜船窪乗越〜
針ノ木谷古道〜奥黒部ヒュッテ〜赤牛岳〜水
晶岳〜湯俣〜高瀬ダム〜七倉の周回コースは、
「針ノ木谷古道」の復活によって成功した。
一週間前にお世話になった船窪小屋で仕入れた
情報を元に無謀にも挑戦してしまったが、
不安なルートにも随所に復活の足跡を見つけ
られた。そのおかげで無事に踏破出来たと、
倉から入山した。今後、このスタイルが数多
くの方々に、愛用される事を祈念して止まな
い。
【考察】一泊目を奥黒部ヒュッテ泊、二泊目を
水晶小屋又は野口五郎小屋泊とすれば、装備の
軽減が図れ少し楽な山行が出来るだろう。
一日の行動時間が長いため、日照時間の長い
季節が望ましいと思う。
その時々の季節や天気予報に振り回されてい
る。
そんな中、船窪岳〜南沢岳〜烏帽子岳を周
回する、一泊二日の山行に出掛けた。このコ
ースの楽しみの一つに、船窪小屋での宿泊が
あり、計画時の大きな要素になっている。
船窪小屋では、小屋開きしたばかりで、おり
しも翌週の「海の日」を控えた準備で忙しい
時だった。
小屋を切り盛りするお母さん(寿子さん)の
歓迎は暖かく行き届いている。楽しい夕食の
もてなしを受けて、翌日に控えたハードな
周回山行に英気を養えた。 その時、小屋の
ご主人の松澤宗洋さんと寿子さん夫妻から
「針ノ木谷古道」の復活の貴重な話を伺えた。
夕食後、船窪小屋から夕陽に染まる薬師岳や
剱岳、立山など見とれながら、赤牛岳が
気掛かりになっていた。
一般的には、裏銀座縦走コースから水晶岳を
経由して赤牛岳にいたる場合と、扇沢から
黒部ダム、奥黒部ヒュッテ経由で長く厳しい
読売新道を登り詰める場合の2種類が考えら
る。また、これ等を行き帰りに縦走するケー
スも多いようであった。しかし、我々はこれ
等計画では、黒部ダムまでのバス代や車の回
収などに経費と時間が掛かるのがネックと思
っていた。
この問題点(我等だけかも知れないが)を
解決するコースとして、針ノ木谷古道を利用
できないかと検討してみた。船窪小屋の松澤
さんに改めてE−MAILでコースの問合せ
をして、貴重な情報が得られた。そして、山
中2泊でなんとか周回できると結論を出した。
経費節減を図る我等は、勿論、テント泊装備
で計画したのである。
1日目。2週連続となった船窪小屋への登
りは足取りも軽く、小屋に立ち寄った。お母
さん(寿子さん)に、先週の小屋泊とE−M
AILでの情報提供のお礼を言って、「針ノ
木谷古道」を使わせてもらうことを告げ、先
を急いだ。
船窪乗越で船窪岳・烏帽子岳周回コースか
ら分れて、針ノ木谷出合に向かう踏み跡を辿っ
た。
針ノ木谷出合は、幾つもの谷からの雪崩が
集まるところで、盛り上がった残雪が、木々
を巻き込みながら山の様になり、ルートが判
らなかった。やっとの事で、赤テープを見つ
け、それを頼りに先に進んだ。
針ノ木谷は、時期が早いせいか、雪解け水
で少し増水しているようだ。それでも南沢出
合までは、藪こぎが多少あるものの、比較的
順調だった。
しかし南沢出合から先は、徒渉できる所を
探して、行きつ戻りつする事がしばしばあり、しかし南沢出合から先は、徒渉できる所を
時間を結構費やした。なかでも5回程は浅瀬
を探して裸足で渡った。冷たい水の中は、5
秒間も歩くと感覚が無くなり、水から出ると
痛みを感じた。浅瀬の無い所は、思いっきり
岩から岩へ跳んだ。非力な相方は、荷物を背
負ったまま跳べないので、相方の所に戻って
は、荷物を背負いまた跳んだ。
時間はどんどん経過して、「針ノ木谷で幕
時間はどんどん経過して、「針ノ木谷で幕
営もありかな・・」と思った頃、橋が見えた。
大変だったが、久々にスリリングでおもし
大変だったが、久々にスリリングでおもし
ろかった。
しかし、そこからも船渡し場と更に奥黒部
ヒュッテは、遠かった。何とか奥黒部ヒュッしかし、そこからも船渡し場と更に奥黒部
テに18時過ぎに到着した。
この日は、七倉山荘Pを朝5時過ぎに出発
して、13時間の行動であった。
翌日も予定では、12時間ほどの行程のた
め、早めに食事をしてユックリと休んだ。
2日目。読売新道の登りは厳しいものだっ
たが、赤牛岳に無事登頂できた時は、心から
嬉しかった。生憎の小雨交じりの天候で展望
に恵まれず残念だが、充実感で満たされた。
更に水晶岳を経由して、水晶小屋で小休止し
た。一瞬、水晶小屋泊を考えたが、「折角の
テント泊装備で苦労してここまで来たのに」
と思い返し悩んだ。結局、勿体無いので先に
歩を進め、途中の雪渓のある場所で幕営した。
場所は、真砂岳手前の湯俣への分岐より、
かなり手前であった。3日目は、湯俣へ下り
晴嵐荘を経由して高瀬ダムに下山予定のため、
効率的な幕営地となった。
3日目。天気が急速に回復して裏銀座縦走
路から湯俣に分岐する頃は快晴に恵まれた。
振り返ると裏銀座縦走路の峰峰が屏風のよう
に連なり見送ってくれた。その後ろに水晶岳
も頭を覗かせていた。行く手には、異様な姿
の硫黄岳と、その奥に険しい北鎌尾根を従え
た槍ヶ岳が、出迎えてくれた。湯俣岳を経由
して、一際急になる痩せ尾根の下りをドンドン
行くと、高くなった北鎌尾根を見上げながら、
湯俣が現れてきた。
晴嵐荘では、河原の露天風呂で3日間の汗を
流して、サッパリ出来た。高瀬ダム迄の単調
な林道歩きも、長かった3日間を思い出すと、
達成感と充実感に満たされたものになった。
今回、辿った七倉〜船窪小屋〜船窪乗越〜
針ノ木谷古道〜奥黒部ヒュッテ〜赤牛岳〜水
晶岳〜湯俣〜高瀬ダム〜七倉の周回コースは、
「針ノ木谷古道」の復活によって成功した。
一週間前にお世話になった船窪小屋で仕入れた
情報を元に無謀にも挑戦してしまったが、
不安なルートにも随所に復活の足跡を見つけ
られた。そのおかげで無事に踏破出来たと、
心から感謝している。
本来であれば扇沢から入山し、奥黒部ヒュッ
テを目指すのがセオリーだろうが、我らは七本来であれば扇沢から入山し、奥黒部ヒュッ
倉から入山した。今後、このスタイルが数多
くの方々に、愛用される事を祈念して止まな
い。
【考察】一泊目を奥黒部ヒュッテ泊、二泊目を
水晶小屋又は野口五郎小屋泊とすれば、装備の
軽減が図れ少し楽な山行が出来るだろう。
一日の行動時間が長いため、日照時間の長い
季節が望ましいと思う。
2009年05月15日
毛勝山登山
笈ガ岳登山
蒜山登山
2009年02月08日
久し振りの金峰山!
2009年01月18日
池口岳

2156Pが加加森山との分岐かと想っていましたが、先に池口岳と加加森山からの尾根が見えた時は、ガッカリしてもう引き返そうかと想いました。この時に考えていたのが「諦めなければ必ず夢は叶う」と言う言葉でした。人からの受け売りですが、この時ばかりは、本当に心の中で唱えていました。

下山して、ユックリと汗を流して車中泊していたら、翌朝、飯田近郊は大雪に見舞われていました。これにはビックリし、3連休の2日目と三日目を行動日として考えていた事を一日早くして良かったと想いました。