課題の山行は幾つもあり、どこに行くかはその時々の季節や天気予報に振り回されている。 そんな中、船窪岳〜南沢岳〜烏帽子岳を周回する、一泊二日の山行に出掛けた。このコースの楽しみの一つに、船窪小屋での宿泊があり、計画時の大きな要素になっている。船窪小屋では、小屋開きしたばかりで、おりしも翌週の「海の日」を控えた準備で忙しい時だった。 小屋を切り盛りするお母さん(寿子さん)の歓迎は暖かく行き届いている。楽しい夕食のもてなしを受けて、翌日に控えたハードな周回山行に英気を養えた。 その時、小屋のご主人の松澤宗洋さんと寿子さん夫妻から「針ノ木谷古道」の復活の貴重な話を伺えた。 夕食後、船窪小屋から夕陽に染まる薬師岳や剱岳、立山など見とれながら、赤牛岳が気掛かりになっていた。 一般的には、裏銀座縦走コースから水晶岳を経由して赤牛岳にいたる場合と、扇沢から黒部ダム、奥黒部ヒュッテ経由で長く厳しい読売新道を登り詰める場合の2種類が考えらる。また、これ等を行き帰りに縦走するケースも多いようであった。しかし、我々はこれ等計画では、黒部ダムまでのバス代や車の回収などに経費と時間が掛かるのがネックと思っていた。 この問題点(我等だけかも知れないが)を解決するコースとして、針ノ木谷古道を利用できないかと検討してみた。船窪小屋の松澤さんに改めてE−MAILでコースの問合せをして、貴重な情報が得られた。そして、山中2泊でなんとか周回できると結論を出した。経費節減を図る我等は、勿論、テント泊装備で計画したのである。 1日目。2週連続となった船窪小屋への登りは足取りも軽く、小屋に立ち寄った。お母さん(寿子さん)に、先週の小屋泊とE−MAILでの情報提供のお礼を言って、「針ノ木谷古道」を使わせてもらうことを告げ、先を急いだ。 船窪乗越で船窪岳・烏帽子岳周回コースから分れて、針ノ木谷出合に向かう踏み跡を辿った。 針ノ木谷出合は、幾つもの谷からの雪崩が集まるところで、盛り上がった残雪が、木々を巻き込みながら山の様になり、ルートが判らなかった。やっとの事で、赤テープを見つけ、それを頼りに先に進んだ。 針ノ木谷は、時期が早いせいか、雪解け水で少し増水しているようだ。それでも南沢出合までは、藪こぎが多少あるものの、比較的順調だった。
しかし南沢出合から先は、徒渉できる所を
探して、行きつ戻りつする事がしばしばあり、時間を結構費やした。なかでも5回程は浅瀬を探して裸足で渡った。冷たい水の中は、5秒間も歩くと感覚が無くなり、水から出ると痛みを感じた。浅瀬の無い所は、思いっきり岩から岩へ跳んだ。非力な相方は、荷物を背負ったまま跳べないので、相方の所に戻っては、荷物を背負いまた跳んだ。
時間はどんどん経過して、「針ノ木谷で幕
営もありかな・・」と思った頃、橋が見えた。
大変だったが、久々にスリリングでおもし
ろかった。
しかし、そこからも船渡し場と更に奥黒部
ヒュッテは、遠かった。何とか奥黒部ヒュッテに18時過ぎに到着した。 この日は、七倉山荘Pを朝5時過ぎに出発して、13時間の行動であった。 翌日も予定では、12時間ほどの行程のため、早めに食事をしてユックリと休んだ。 2日目。読売新道の登りは厳しいものだったが、赤牛岳に無事登頂できた時は、心から嬉しかった。生憎の小雨交じりの天候で展望に恵まれず残念だが、充実感で満たされた。更に水晶岳を経由して、水晶小屋で小休止した。一瞬、水晶小屋泊を考えたが、「折角のテント泊装備で苦労してここまで来たのに」と思い返し悩んだ。結局、勿体無いので先に歩を進め、途中の雪渓のある場所で幕営した。場所は、真砂岳手前の湯俣への分岐より、かなり手前であった。3日目は、湯俣へ下り晴嵐荘を経由して高瀬ダムに下山予定のため、効率的な幕営地となった。 3日目。天気が急速に回復して裏銀座縦走路から湯俣に分岐する頃は快晴に恵まれた。振り返ると裏銀座縦走路の峰峰が屏風のように連なり見送ってくれた。その後ろに水晶岳も頭を覗かせていた。行く手には、異様な姿の硫黄岳と、その奥に険しい北鎌尾根を従えた槍ヶ岳が、出迎えてくれた。湯俣岳を経由して、一際急になる痩せ尾根の下りをドンドン行くと、高くなった北鎌尾根を見上げながら、湯俣が現れてきた。 晴嵐荘では、河原の露天風呂で3日間の汗を流して、サッパリ出来た。高瀬ダム迄の単調な林道歩きも、長かった3日間を思い出すと、達成感と充実感に満たされたものになった。 今回、辿った七倉〜船窪小屋〜船窪乗越〜針ノ木谷古道〜奥黒部ヒュッテ〜赤牛岳〜水晶岳〜湯俣〜高瀬ダム〜七倉の周回コースは、「針ノ木谷古道」の復活によって成功した。一週間前にお世話になった船窪小屋で仕入れた情報を元に無謀にも挑戦してしまったが、不安なルートにも随所に復活の足跡を見つけられた。そのおかげで無事に踏破出来たと、心から感謝している。
本来であれば扇沢から入山し、奥黒部ヒュッ
テを目指すのがセオリーだろうが、我らは七倉から入山した。今後、このスタイルが数多くの方々に、愛用される事を祈念して止まない。【考察】一泊目を奥黒部ヒュッテ泊、二泊目を水晶小屋又は野口五郎小屋泊とすれば、装備の軽減が図れ少し楽な山行が出来るだろう。一日の行動時間が長いため、日照時間の長い季節が望ましいと思う。
posted by 西さん at 10:11| 埼玉 ☔|
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山行記
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